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以前の記事「死刑廃止について」でも述べたが、
殺人に対する基本判決は、「死刑」であるべきだと思う。

だって、被害者は有無も言わさず、加害者によって「死刑」に
されたようなものだから・・・。

個人個人が、自分の責任を自分でとるという
態度を身につけられたらいいと思う。
それが「大人」というものだ。

命は、命で償う。
そうして、奪った命の重さを知る。
これが基本だと思う。


基本が死刑で、その後、情状酌量の余地を見出すかどうかを
争ってほしいものだ。

しかし、多数の弁護団の弁護答弁よりも、
たった、独りの被害者の心の声には、勝てないね。
心に訴えかける重みが断然違う。

いったい、この多くの弁護団の中に、
被害者の心の傷について考える人が、
独りでもいたのだろうか?
と思えるほど、弁護団の答弁が
詭弁に聞こえたのはどうして?

たった一人の力だったのに、
日本の司法をさえ変化させた
本村氏に、心からの
感謝と、ねぎらいの言葉をかけてあげたい。

「あなたの、言葉には、1から10まで、
心に響く真実がありました。日本の国を
良くしてくれて、ありがとう」




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チベットの映像を見ていると、とても可哀想になってくる。
「中国も北朝鮮となんら変わらないな」と思ってしまう。
でも、そういうことを言ったら
「かつての日本だって同じだろう」って
中国の人に言われてしまうかもしれない。

かつての歴史と今の歴史、
どちらも、時代の流れの延長線上にあるものだし
自分のことは棚に上げてしか、他所は語れない事態に陥る。


だから内政干渉にならないために
国は、当たらず触らずの対応をしてしまう。

他所の国のことは、その国が解決する以外しょうがないと・・・

これって、昨今の幼児虐待のときの対応となぜか重なってしまう。

人の家庭のことは、他人がとやかく言いにくいし、
家庭を法律で取り締まるというのも、難しかった。

しかし、そうしているうちに、何人もの犠牲者が出た。
ほっておけば事態が悪化することが分かった。
法律が家庭内にも秩序を保つ役割をしなければいけない社会に
現代は成り下がってしまった。

さて、国際問題ではどうするのだろう。
中国としての言い分は、国を運営する意味では理解できる。
しかし、心情的にはチベット人の言っている事の方がより理解できる。
「義理と人情」の戦いが政治の世界でもあるということか。

国際問題は地球が滅びようとしている時代であっても
解決が難しい・・・。
少なくとも、インターネットで世界の情報がつながっている現代
無関心ではいけないと思う。

日本の果たす役割は、日本がいつまでも民主主義を貫く
平和国家であり続けることかもしれない。
過去の歴史の過ちは、ちゃんと反省し、
その反省の上に作られた民主主義国家として
世界にうらやましがられる国でいること。

それが、できてこそ、
世界が日本の意見を聞くことができるのかもしれない。

とりとめもない話になった・・・




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