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死刑を軽々しく判決を下すべきではない。
確かにそうかもしれない。

しかし、
本当の問題は、軽々しく殺人を犯したことだろう。

だから、死刑こそ、ふさわしい判決だと考える。

人の命を軽々しく奪えば、自分の命も軽々しく奪われて当然だと思わなければならない。
それが、正当というものだ。


よく、弁護人が情状酌量の判断として、
「計画性が無かった」という言葉を使う。

私は、「計画性がある殺人」と、「計画性の無い殺人」の
どこに罪の違いがあるのか、あまりわからない。

この事件の場合、特に、計画性という観点から見れば、
長期の計画性が無かっただけで、短期的な計画性はあったと思う。

計画性が、罪の重さと関係する理由は・・?

軽々しく、人の命を奪ったのなら、
己の命をもって償いなさい。

武士の潔さを見習って欲しいものだ。




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ブログ紹介; 「夫婦の法則・男と女の法則」
(「夫婦」、「恋愛」、「人生」、「倖せ」について、一つの視点を提供します)
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「日本はいったい何処へ行こうとしているのだろう?」
いや、違う、こう聞くべきかもしれない。
「政府は日本を何処へ導こうというのか?」
とても、安心、安全、夢のある国への導き手ではないと思われる。
後期高齢者問題しかり、年金問題しかりである。

特に、今回、派遣労働者の問題を考えてみたいと思う。

政府は、日本企業が弱体化していることを危惧し、
労働者派遣法を作り上げた。
その結果、日本企業は、力を持ち直し、業績を上げてきた。

企業は、安く労働を使いたいし、
経営陣の利益は最大限に上げていきたい。

その結果、今や1/3の労働者が、正社員ではないとのこと。

やがて、不安定な社会人が増え、
社会全体の消費がじわりと落ち込んでくる。

企業は、真綿で自分の首を絞める状況になってきた。

企業も、政府も、本来の理念を忘れてしまっている。

日本国民とは、一部の特権階級のものではない。
国民一人一人が、豊かな生活、
安定した人生設計のできる国、
生きがいのある生活を求めている。

政府は、これらを「自己責任」だといわんばかりである。
しかし、これを自己責任にしないために「政府」という
組織があるのではないだろうか?

企業だってそうである。
近江の商人の家訓には、三方良しの理念がある。
すなわち、「買い手良し、世間良し、売り手良し」である。

日本企業は、偽装問題で、買い手を裏切り、
売り手であるところの、企業内の職員さえ、
派遣社員として、契約打ち切り等で、簡単に裏切り、
企業として社会を良くするという理念さえ見えないから、
世間も裏切っている。

企業にとっての、売り手とは、一部の経営陣だけ、
それでいいのだろうか?

企業に任せてはいけない。
それが、できるのは、政府でしかない。
決して、個人の自己責任にしてはいけない。

そういう部分もあることは確かである、
しかし、それだけではないことの方が大きい。

社会のシステムそのもので、夢の持てる国にする
その理念を政治家は持つべきだと思う。

美しい国は、そこに住む人々が、
夢を持てる国でなければならない。



志位委員長の言葉を聴いて欲しい。
「こんな働き方をさせて、日本の将来はあるのか?」





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是非、(11/24-11/28)までの
武田鉄矢の「今朝の三枚下ろし」(ポッドキャスト)聞いてください。
今週分(前半分)は、12/8の午前中まで聞けます。

下記ポッドキャストで聞けます。
http://www.joqr.co.jp/bbqr/others.php

「なぜ君は絶望と闘えたのか」の本からのコメントです。
私は、以前は死刑廃止に賛成していた。

しかし、山口母子殺人事件の被害者である夫の発言は
どんな弁護士よりも、強烈で、心の底まで響いた。

「被害者も裁判によって癒されなければならない!」

今まで一体、誰の為の裁判だったのだろう?
被害者は、有無も言わさず殺されていながら、
加害者の人権を守る裁判が行われ、
すでに亡くなった被害者の気持ちはないがしろにされていた。
被害者家族の悲痛な叫び声が、法廷には届かなかった。
そして今までは、世間にも届かなかった。

だから今は、「死刑判決はあるべきだ」と思うようになった。

人は、自分の行った行為に責任を取るべきである。

私は、こう考える。
殺人は、基本的に「死刑」であるべきだと。

その死刑という刑を一旦確定し、
その後でどれだけの「情状酌量」が考慮されるべきかを
議論すべきではないのか?

被害者は、誰にも議論されないまま、弁護もされず、
加害者によって「死刑」にされてしまったことを
忘れてはいけない。

それに、日本の刑法は、刑が甘いように思う。
「無期懲役」と「死刑」との刑の重さに隔たりが大き過ぎる。

死刑は、もちろん簡単に行うべきではないと思う。

しかし、殺人は、自分が同じように殺されても(死刑)
しかたない罪なんだと、分からせるためにも
「死刑」という刑は無くしてはいけない。

「死刑廃止を推進する議員連盟」は
「死刑判決は全会一致とし、そうならない場合は、
終身刑とする」という裁判員法改正案を準備している。

終身刑という刑を新たに作るという点で賛成はできる。

しかし、全会一致の原則はどうだろうか?
初めに「殺人」は「死刑」にあたる罪であることを認識すべきではないか。
その後で、罪を悔いる時間を与えるのかどうかを
議論して欲しいと思う。

人の命は、地球より重たいともいう。
それが、死刑廃止へと向かうのではなく、
被害者救済へと向かうべきではないか。

犯罪者を救う法律ではなく、
まず、被害者を救う法律であって欲しい。


あなたは、どう思われるだろうか?






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